ある日、AIを活用していくコミュニティに招待されました。
私の人生にAIは関係ないものだと思っていたので正直戸惑いました。
「時代の最先端は〇〇だ!」とか「これからの時代はこうでなくてはいけない!」という言葉を聞くと、胸がざわつくことがあります。
「そんなの私には関係ない。時代がどれだけ移り変わっても、大切なものは何一つ変わらないはずだ。人の心を忘れず、自然と共存する在り方さえあれば問題ない!」
…なんて、反射的に私の中にいる反抗心むき出しの頑固親父が顔を出すのです。
基本的に不安を煽って人を動かそうとする商業的なビジネスが苦手でそういう言い回しには特に頑なになってしまうのでしょう。
そんな私が「AI、面白そうじゃん!」と素直に思えたのは実はとても単純な理由で、尊敬する方が声をかけてくださったからです。
きっかけはそれだけ。
私はそういう単純でバカなところがあって最後の決め手は「誰がそれをするか」なんですよね。
よくよく考えれば面白い時代だなと思います。
これまで人類が積み重ねてきた叡智をAIが簡単に使いこなしてしまう時代がきています。
「学歴があり資格があり博識な人こそ偉い!」という単純な価値観で人を判断していた時代はAIによって崩れていくかもしれません。
AIは人々を解放しにきたのかもしれません。
労働からの解放だけでなく、人間が大切にしてきた価値観や誇りさえも手放すように促しているようにも感じます。
そんな大きな転換期に偶然にも生きていることを改めて実感しました。
頑固親父が門前払いを続け安心で安全な家の中で持論を唱えることもできましたが、やはり家の外に出て価値観が180度変わる瞬間をこの目で見て感じて心が揺れる体験をしてみたいと思ったのです。
それが本質的な面白さであり、人としての存在意義を考えるこれ以上ないきっかけのようにも思いました。
AIが到来するその瞬間に人々がどう思ったのか、どう順応していったのか。
興味深いのはやはり人の心の動きではないかと感じ、こうしてAIとの対話日記を始めることにしました。
ちなみに、これを提案してきたのもAIであり私のオリジナルのアイデアなんて何ひとつないのです。
こうなると誇りを持つ場所すらないのですが揺れ動く心だけはAIにはないだろうと思い、人としての意地を見せる意味でもこの日記を書いてみたかったのです。
AIという新しい時代の波が来ていますが、揺れ動く心をどう感じ、どう向き合っていくかが私たちの未来を形作るのではないかと思います。
また、AIが進化していく中で人間としての心や感情がどのように残っていくのかも私の関心のひとつです。
今後はAIとの対話を通してその心の動きを探ってみたいと思います。